情然研究所 ――哲学・神学・科学を横断して自由に真理を追究する
情然研究所 トップ画像

日本の立場と使命

 

 

●対立関係に調和をもたらす「和の心」

日本文化のすみずみに浸透する「和の心」。
「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」という論語の言葉が指し示すように「和の心」とは、ただむやみに同ずる(妥協する)ことを良しとするものではない。
自らの主体性・個性・意見をしっかりと持ちながら、相手の立場を尊重し、共に真理に至るという目的のために交流し自由に議論し合うということである。

この「和の心」は、単に諸学問分野の協調だけではなく、国家間、民族間、宗教間の緊張緩和から、人と人、人と自然環境との調和まで、ありとあらゆる関係性のなかできわめて重要かつ有効な行動基準になるに違いない。

実際、一般的日本人の心のなかでは、仏教や神道、儒教、さらにはキリスト教など本来混ざり合うはずのないものまで不思議なことに何ら違和感もなく共存している。
一神教的潔癖さからすると、宗教的節操がないと批判される向きも無きにしも非ずだが、しかし、とにかくまずはそれぞれの良いところを信頼し、心を開いて受け入れ、和みの空気のなかに対立関係を昇華させてしまうという、きわめて高度な精神技術であるとも考えられる。

ところがそんな「離れ業」のようなことを、普通の日本人が自然にやってのけてしまっているのだ。
漢字も、食文化も、科学技術も、私たちの祖先は、良きものを率直に受け入れ、創意工夫をしつつ、より一層磨きをかけて、すっかり自分のものにしてきた。ラーメンもカレーも、日本で独自の改良が施され、今ではすっかり日本食として定着している。

日本語の文章を見ると、そこにはひらがなやカタカナと、外来文字である漢字が何の違和感もなく共存している。
さらにはalphabet(アルファベット)まで自然に組み込むことができる。新聞や雑誌には縦書きと横書きが混在し、文字通り縦横無尽の表現形態が可能になっている。

「和の心」には、異なるものや対立する極を昇合させ、多様性の中に調和を見出し、いつのまにか新しい価値をつくり出してしまう力がある。
その「和の心」の中に、いま世界に渦巻くさまざまな対立構造を調和へと導くことのできる実践的な方法論があると、私は期待している。

●理想を追求する「道の精神」

「和の心」と併せて、もう一つ日本人の心に浸透している「道(どう)の精神」も、平和のための重要な柱になるだろう。
柔道や剣道といった武道はもちろん、日本では、花を生けたり(華道)、お茶をたてて飲んだり(茶道)、香を焚いたり(香道)ということまで「道」になる。
ラーメン道やサラリーマン道、果ては主婦道という言葉まである。武士道や神道など、生き方そのものも「道」だ。

「道」とは単なる技術の鍛錬というより、心身を鍛えその「道」を極める宗教的修行の場という意味合いが強い。そこでは技術や作法はもとより、そうした形として表れるものの奥にある精神性の高さ、清さ、潔さが要求される。
「道」に生きる人は、決して信念を曲げず自分を裏切らない。ゆえに、相手を裏切ることもない。

「道」は、多くの先達が実際に歩き築いてきた軌跡でもあり、その後に続いて「道」を行くことは、その志を受け継ぐことでもある。
また「道」の始まりには、漠然とではあるが「カミ」や「天」のような大いなる存在が想定されている。その大いなる存在の導きによって「道」を前進しているという使命感がある。

「道」を行く人は伝統の継承者であり、自分に厳しくストイックな求道者、探求者でもある。たとえ途中に困難や障害があっても、決して「道」を外れることなく、妥協せず頑ななまでに真っ直ぐその壁を突破しようと努力する。
彼にとって最大の敵は自分自身の中にある弱さや恐怖心である。

「道」に生きる人は一見、周囲との調和が難しい頑固者のようなイメージがあるかもしれないが、「和」が重なることで、その人格は丸く立体的なものになり人格の器が広がる。
「道」は直線的で理想を追い求める「剛者」であり、「和」は、曲線(円)的で場の関係性を大切にする「柔者」だ。

「道」は縦軸として「和」は横軸として日本人の精神性を支えている。 もちろん、この「和の心」と「道の精神」は必ずしも日本人だけがもつ特質ではない。
世界で活躍する多くの人が、同じような縦横の二つの柱をしっかりと立てて、そのバランスを取っていると考えられる。
ただ日本においては、伝統文化から一般大衆の日常生活、生き方全般にまでこの二つの柱が深く根ざしてきているということは、特筆すべきことだと思う。

しかしながら自信をもってそういえるのは一つ前の世代あたりまでであって、現代の、そして未来の日本人がその良き伝統をしっかりと相続してくれるかどうかとなると、どうも心もとない現状ではある。
「和の心」と「道の精神」の本家本元であるはずの日本人の中に、それが薄れ掛けているのだ。
そうした意味からも今後、家庭のあり方や教育問題がより一層重要になってくることは明白であり、それは我々が取り組むべき最優先課題であると認識している。

詳しくは『情然の哲学』をご一読ください。