情然研究所 ――哲学・神学・科学を横断して自由に真理を追究する
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存在の根源を巡って

 

 

月面に初めて人が降り立ったのは、もう40年以上も前のこと。

いまや火星の地表を探査機マーズ・ローバーが這い廻り、地球から190億㎞もの彼方を航行するボイジャー1号は、毎秒17㎞の速度で遠ざかりつつ、あと数年で太陽系の呪縛から解放され永遠とも思える旅を続けることになる。

さらに宇宙の果てに目を向ければ、ハッブル宇宙望遠鏡が130億光年離れた銀河の光をとらえ始めた。
一方、ミクロの世界を探求してきた素粒子物理学は、原子から素粒子へ、さらには時間や空間が意味を失うほどの極小領域に閉じ込められた「究極の秘密」までも解き明かそうとしている。

ビッグバン理論によれば、宇宙の始まりはいまから138億年前のこと。
そのごく初期の段階(ビッグバン開闢(かいびゃく)より1兆分の1のさらに1兆分の1秒も経っていない頃)の状態まで数式によって詳細に記述されている。

その時の宇宙は、なんと原子一個の大きさにも満たなかったという驚くべき結論が定説となっている。
その「原初の状態」を探究する過程では、大きさにおいてマクロとミクロそれぞれ両極を追求してきた宇宙物理学と素粒子物理学が「存在の根源」という同じ課題に取り組むことになる。

元来それは宗教や哲学が関わってきたテーマでもある。極大と極小がつながっているというようなイメージは、「一即多 多即一(華厳経)」のように、仏教や東洋思想ではずっと昔から語られてきたことではないか。その世界観を表現したマンダラもある。
悟りの境地に近づいた修行僧は、「一人の人間の中に全人類がいる、あるいは宇宙全体が入っている」という直観を抱くといわれている。哲学では、ホロンやフラクタル幾何学などの考え方のなかでそういったテーマを扱ってきた。

いままさに「存在の根源」に向かって、人類の知が結集されつつあるような気がしてならない。
そしてそれは、「人間とは何か」「自分とは何か」という人生の大問題とも直結している。

(『情然の哲学』序章より )